代表者経歴

1958年、川崎市生まれ。直に武蔵野市に転居。自宅隣にあった米軍居住専用区域(通称:グリーンパーク)に 金網を乗り越えて侵入(本当は治外法権)し、以降6年間にわたり、日本の中の外国へ毎日通い詰める。 10歳にして、異文化と日本文化の独自性を知り、そのギャップに悩み、擦り合わせに腐心する日々を送る。 '75年、ミッション系私立高校の聖歌隊として、米国・中西部を1カ月半にわたり演奏旅行。憧れた米国の真実を垣間見、世界の広さと人間の本質の同質性を知る。 

'81年、明治学院大学文学部フランス文学科卒業(現代詩、近代フランス音楽批評専攻)。在学中に、天沢退二郎、巌谷國雄、入沢康夫、清水 徹、工藤庸子ら錚々たる詩人・文人に薫陶を受ける。日々、吉祥寺のJAZZ喫茶巡りのこの学生時代に、女性誌を読みあさり、料理の世界に触れる。

卒業後、株式会社エディターセンター(時事通信社校閲部)に入社。官庁向け日刊誌編集・校閲・制作工程 管理並びに地方紙への配信ニュースの原稿整理・校閲などを担当。また、この頃から記事の執筆も開始する。 一方で、並行して編集者、建築家、デザイナーなど7人からなる事務所組織"ユニゾンハウス"を設立。 その通信社に4年勤めたのち退社、退職金350万円を当時東京にあった主なフレンチ・レストランの食べ歩きにすべて注ぎ込み、約1カ月半で使い切る。

1986年(株)エディターセンター退社と同時に、有限会社 ユニゾンハウスを設立。代表取締役社長に就任。以降、プロデューサーとデザイナーを中心に7つの名前と7つの仕事を使い分ける生活に突入。某大手オーディオメーカーの社外アドバイザーや某大手デパートの展示のキュレーション、また複数の大手企業との提携により、『ハスキー』『猫』『カップル(LOVE)』など多くの流行を仕掛ける。 この頃、世界的なヒットで知られるゲーム『ファイナルファンタジー9』のオープニングテーマ等数曲のアレンジと演奏を担当。

その後、安定を求めて、某オーディオ雑誌のクリエイティヴ・ディレクターに就任。ひと月のうち、2週間ぶっ通しで 働き、1週間余で休養を取るという偏った生活を1年半続けるも体調を崩し、退職。

湘南移住を決意。

湘南移住後の2000年には、制作プロダクション『有限会社Moonfish MediaWorks』を設立、副社長兼クリエイティヴディレクターに就任。また同時に料理関係者のネットワ ーク『Earth Net Food Works』を組織し、『カフェめし1』『同 2』『ポケット・シェフ・シリーズ1〜2』『ピクニック・バイブル』など数々のヒット書籍において、企画制作、記事作成、エディトリアル・デザイン、料理監 修およびレシピ作成を担当。2002年、某老舗企業の委嘱により湘南にアーティスト作品と天然素材雑貨の店『モノコード』2店舗をプロデュース、同年、吉祥寺にタイ料理店『アムリタ食堂』をプロデュース。 

この年から3年ほど、世界の音楽と料理の移動カフェ『World Beat Cafe』を大磯および横須賀にて展開し、シェフを勤める。 ほかに、中世ヨーロッパの音楽と料理の宴『Alla Tavola Medievale』シリーズを京都はじめ 滋賀、東京、桐生、埼玉など日本各地で計9回開催、料理ワークショップ、数々のケータリング、移動カフェなどを経て、鎌倉・長谷に2006年冬、ワンダーキッチンが設立されると同時にシェフに就任。

2007年以降、 鎌倉市内に生活ブランドとしての任意組合『WanderKitchen project』を創業。統括プロデューサーに就任。その後、吉祥寺、茅ヶ崎を含む、延べ15軒の店舗を設計・施工・運営し、プレスと店舗プロデュースおよび改装、グラフィック、ウエブ制作、人事などを担当。2008年秋から鎌倉・大町にてHarimau Loji シェフ。2010年、 Harimau Lojiとjentecoの合併による閉店を契機に、自らのキッチンGRADATIONSを立ち上げ、オーナーシェフとなる。料理教室『Easy Dishes』主宰、カレーのケータリングサイト『Masala Mania』を起ち上げる。

2012年、御成町にワンダーキッチンが復活オープンすると同時にシェフに再度赴任。

事業分割や事業譲渡ののち、2019年5月に合同会社彗星商会を設立。CEOに就任。

現在に至る。

大海に小石を投げ続けるが如く…

私ども合同会社彗星商会は、鎌倉というイチ地方の、商店に毛が生えた程度の弱小企業であることは間違いありません。ただし、今という時代を、日本という東洋の小国を、鎌倉という特殊な地域を、そして会社をはじめとした自分を取り巻く環境を、常に俯瞰し、冷静に分析し、明確なヴィジョンを描き、大胆に行動する、という一連のルーティーンを忘れることはないでしょう。その先にこそ、やるべきこと、あるべき姿が見えてくると思うのです。

まだ、インターネットも一般的でなく、スタートアップやベンチャーという言葉も、創業時の資金調達も大変だったおよそ35年前に東京にて、ひとり独立して起業し、オープンイノベーションという言葉も、そのためのプラットフォームもなかった時代に、さまざまな大手企業とタイアップや業務提携をして事業を続けてまいりました。私自身の拠り所は、自由な発想力と創造性、人と異なる視点、希有な行動力とタフな体力、コミュニケーション能力と希望を捨てず、必ず何とかなるという信念と自信。どれも、最近の若者には欠けているように思え、いささか寂しく物足りなささえ覚える歳になりました。とはいえ、生涯これまで一度も下ろさず取り続けて来たファイティングポーズを、まだ下ろす気はありません。

10代で日本社会の旧弊による無駄や非効率性を認識して世界に開かれた社会を欲し、20代で貨幣価値至上主義時代の終焉を説き、27歳で自由な労働環境や才能ある若者のキャリアアップのために起業し、以降、アーティストの支援や外国人で日本での就労を希望する人々のサポート、大企業との仕事を求める個人のための営業代理や契約実務、などを継続して行って来た身としては、いまだ何も変わらないこの国の現状を見て、ただ嘆いてばかりもいられません。たとえ、それが大海に小石を投げるが如く、空虚な所作に見えていても、やがていつかそれが生み出した小さな波紋が、大きな海水のうねりへと変わっていく可能性が1%でも残されている限り、私は今、次世代の若者たちのために出来ることをしていよう、と思っています。おそらく私の世代に残された時間は決して多くはなく、やるべきことは山積です。

従って当社においても、私自身が私腹を肥やそうなどという考えは一切抱いておりません。CEOとは名ばかりで、もしかすると弊社の従業員の中には、私が社長であることに気づいていない人もいるかもしれません。もちろん、経営者たるもの、24時間365日、会社のために時間を費やしてしかるべきですが、私は常に表でも裏でも誰よりも働き、何より地元に還元できる事業展開を、そして愛するスタッフたちには人生の余白を楽しめる環境を、と奔走しています。

とはいえ、収益を伸ばすのは次世代の若者のためには必須ですし、何よりやりたいこと、成功を信じてやまないプロジェクト、有効利用しなくてはもったいない既存建築物、サポートしてそれを発揮する場所をつくりたい若い才能、機能させて素晴らしい効果を生み出したいネットワークなど、多くのリソースやアイデアを抱え、あの27歳の自分と変わらず、わくわくウズウズとする毎日を送っています。

こうしたさまざまな取り組みをひとつずつ実現するには、無形資産ではなく、有形の資金をお持ちの投資家や企業各位のお力添えなくしてはかなわないということを、35年の間にいやというほど学んでまいりました。昨今は、サイトや各企業独自の取り組みの中で、いわゆるイノベーションやコラボレーション、多様な形態の投資などに対し、プレゼンテーションがしやすい時代になっています。そんな今だからこそ、もうひと頑張りして、次世代に新しいビジネスネットワークの形や生き方のサンプルを残してあげたいと望むものです。

一時期は7つの名前と7枚の名刺を持ち、さまざまな職業を兼業しました。思えば、少年時代から願ったり思ったりした、大抵の夢をかなえて来た気が致します。ですから、現代の若者たちに伝えたいのです、思えばかなう、かなわない夢はない、やる気と信念さえあれば、きっと実現するのだ、ということを。


                   合同会社彗星商会 業務執行役員代表 CEO                                  黒澤邦彦

合同会社彗星商会
神奈川県鎌倉市御成町10-15
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